Stroly BLOG

「長堀通」は川だった!? 大阪市の今と昔。

PUBLISHED BY:

7 days ago

テレビ番組などの影響で、昨今ひそかに古地図ブームが起きています。道路やトンネル、河川などの今と昔を比べると、思いもよらぬ発見や学びがあるため、大人の趣味として人気を博しています。
 今回は大阪市の「長堀通」を舞台に、古地図から長堀通の今と昔を読み解いていきたいと思います。

地図で感じる「大阪の歴史」

Strolyには明治4年に制作された大阪市の古地図が掲載されており、自由に閲覧することができます。モードを切り替えれば、現代の大阪を示す地図に画面が切り替わります。
 このころの大阪は、開市として諸外国に開かれた国際都市として開港地となり、外国の船舶が波止場に乗り入れることが可能になった時期です。居留地や雑居地には外国人が居住し、その周辺には洋服屋や洗濯やなどの新しい店が現れました。また、大阪城付近には国内初の本格的な造幣向上が開業し、国の重化学工業の発展に大きく寄与しました。
 このように、寺院などを中心とした伝統文化と近代化・国際化の狭間にある時期を映し出す貴重な資料として、明治初期の古地図は新たな発見をもたらしてくれます。

今とは異なる大阪市の情景

 今と昔では大きく状況が異なる大阪の場所として、「長堀通」という通りがあります。この道は、1971年に完全に埋め立てられるまでは「長堀川」という川の一部でした。幕末の大阪の風景を描いた浮世絵「浪花百景」には「長堀財木市」という作品があり、川を背に子を背負う女性の姿が描かれています。大阪市中央区には「心斎橋」という地名がありますが、これはかつて存在した長堀川に架かっていた橋の名前に由来します。
 また、同じく大阪市中央区にある「島之内」という地名は、現存する東横堀川、道頓堀川のほか、かつて存在した長堀川、西横堀川に囲まれた地域を指していた名前であり、現在より広い地域を指す地名でした。

現在と過去を行き来できる大阪古地図探訪

Strolyで明治初期の古地図と現在の地図を見比べると、地名や橋、道などの変化を一目で確認することができます。わざわざ大きな地図を広げる必要はないのです。
大阪は今も昔も伝統と国際性が交わる多様な文化が形成されている地域です。スマートフォンひとつで明治の大阪へタイムスリップしてみませんか。

Categories

Tags