Stroly BLOG

歌枕の地塩竈 歌人源融が愛した景色とは

PUBLISHED BY:

3 days ago

古くから残る伝統芸能の中でも、教養として人々に浸透してきた和歌。短い言葉の中で、枕詞や掛詞を用いて丁寧に心情や風景を詠む和歌は、今日の私たちの心にも染み入る日本特有の魅力があります。
そんな和歌の歴史が感じられる「歌枕巡り」は、日本各地の旧跡を巡りながら和歌に詠まれた想いを紐解く旅です。
今回は、歌人源融(みなもとのとおる)が和歌を詠んだ地、宮城県塩竈をご紹介します。

歌枕ってなに?

歌枕とは、かつては和歌に詠まれた題材やその中で使われた言葉、またそれらを編集した書物のことを意味しましたが、昨今では和歌の題材とされた日本各地の名所旧跡のことを示します。
かつて清少納言が恋しい人に逢えない辛さを和歌に詠んだ舞台であり、重要な関所であった「逢坂の関」には、現在でもその歌を刻んだ歌碑が観光スポットとして存在します。
また、多数の和歌で愛でられた富士山にも歌枕が存在し、静岡県の「ふじのくに田子の浦みなと公園」には、山部赤人の万葉歌碑が富士山を背景にして建てられています。
そして、今回注目したい宮城県塩竈は、多くの歌人が和歌を詠んだ土地として歌碑が残る場所です。光源氏のモデルといわれる源融(別名 河原左大臣)が塩竈を気に入り、歌を詠んだことから彼の和歌も歌碑として残されています。

和歌と巡る塩竈

源融が詠んだ歌に、「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに」(陸奥[みちのく]の「しのぶもじずり」の乱れ模様の布のように、あなた以外の誰のために私の心は乱れはじめてしまったというのか、私のせいではなく、あなたのせいなのだ。)が挙げられます。
彼は、歌枕として有名だった陸奥の塩竈を模して、京都に河原院という邸宅を構えたとのこと。歌人が模したいと思う塩竈とはどんな地なのでしょうか。
塩竈市は、宮城県のほぼ中央、仙台市と日本三景で知られる松島との間に位置します。奥州一の宮鹽竈神社の門前町であり、港町として栄えたこの地は、かつて都人の憧れだったことから、まだ見ぬこの地への想いを馳せ、都人が様々な和歌に想いを込めました。そのような背景から、“道そのものが博物館”をテーマとして生まれたのが鹽(しお)竈街道です。街道沿いには塩竈にまつわる和歌や文学碑が展示され、歌枕巡りを目的として全国各地から観光客が訪れます。「塩がまのうらなれぬらんあまかくも わがごとからきものはおもはじ」(和泉式部)や「塩がまにいつか来にけん 朝なぎにつりする船はここによらなん」(在原業平)など、著名な歌人の歌碑が一同に見られるのもここならではの魅力です。これら「塩竈百人一首」の現代訳が掲載された「鹽竈街道パンフレット」も現地で配布されているため、古き歌人が詠んだ和歌の一つ一つに思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

Strolyの古地図と共に歌枕の地塩竈で和歌に浸ろう

Strolyは、普通の地図からは分からない本来その土地に眠っている魅力や資産を表現した、ユーザーの体験価値を最大化する新しい地図サービスです。観光マップや古地図上での現在地を表示する機能を使うことで、単なる合理化された位置情報では知ることができない観光資源を発見、体感することを可能にします。Strolyのサービスは、和歌が詠まれた時代にタイムスリップさせるように、塩竈での観光体験を今までにない特別なものへと変えてくれます。
歌人源融が愛した町、塩竈の和歌に秘められた歴史を、Strolyのサービスと共に紐解いてみませんか。

Categories

Tags