「地図を作る人」とは、一体どんな人なのでしょうか?
有名な例でいえば、地形図は国土地理院によって作られていたり、市販の道路地図やガイドマップなどはそれぞれの出版社が編集・作成しています。
このように、多くの地図は会社などのチームで作られていることもあり、実際にどんな人が関わっているかまでイメージするのは難しいかもしれません。
ところが、地図の中にはデザイナーやクリエーターなどの「個人」によって作られたものがあります。
さらに、そうしたアーティストによって作られた地図の中には、地図としてのデザインなどが高い評価を受けて多くのファンに支持されているものもあるのです。
その中でも最も有名なのが、今回の主役である初三郎こと吉田初三郎(よしだ はつさぶろう)。
およそ80年前に、当時としては斬新な「鳥瞰図」という技法を駆使して全国各地の観光地を次々と「イラストマップ」として残した、現在でも人気の高いアーティストの一人です。
当時、彼が手がけた数多くのイラストマップは、各地の鉄道会社や観光地のプロモーションとして次々と使われ、デザイン面でも、浮世絵や日本画のテイストを取り入れた独特のスタイルが人気を集めました。
そんな初三郎は、江戸時代の著名な浮世絵画家にあやかって「大正広重」と呼ばれて広く親しまれるようになったのです。
今回のブログでは、そんな近代日本きっての「地図アーティスト」である初三郎の作品をStroly上で楽しみながら、独特なスタイルを持つ彼の作品に触れてみましょう。
京都(1928)
1枚目にご紹介するのは、1928年(昭和3年)に描かれた「京都名所案内鳥瞰図」で、初三郎が手がけた京都市内のイラストマップです。
地図には、この鳥瞰図の企画を行った大丸京都店の建物を中心として、碁盤の目状に広がる京都の街が空から見下ろしたような視点で描かれています。清水寺や比叡山といった観光名所の様子や、当時市内を走っていた路面電車の路線など、かなり細かい部分まで表現されています。
この地図の最大の特徴は、その空間表現の「ダイナミズム」でしょうか。
実際に地図の左下・右側を見てみると、京都から離れた大阪や東京、そして遠くは朝鮮半島や北海道といった「本当は見えないはずの場所」にいたるまではっきりと描かれていることがわかります。
また、そのようなレイアウトを可能にするために、横長の紙面を使っている点も特徴的です。
京都の地図であるにもかかわらず、描き方を工夫することによって、大阪や東京、さらには北海道などの離れた場所の風景をも表現してしまうという強引さ……!
こうした表現の自由さは、初三郎が手がけた作品全体に共通してみられる特徴でもあり、イラストマップならではの見せ方といえそうです。
いかに多くの土地の風景を一枚で表現するか、という点を突き詰めた結果なのかもしれませんね。
九州(1927)
こちらは1927年(昭和2年)に発表された、九州全土の観光地図です。1927年1月1日付けの大阪毎日新聞の付録として作成されました。
この作品では、広大な九州を一つの地図で表現するために横長のレイアウトを採用している点が特徴的です。また、当時の日本が朝鮮半島を植民地としていたこともあって、北九州の対岸には現在の韓国や北朝鮮にある主要都市が細かく表現され、下関港から朝鮮半島各地へ渡るフェリーの航路も白い点線で示されています。
ちなみに、当時の旅行は鉄道が主な移動手段だったこともあり、各地方の主要な駅やその近くにある名所がていねいに描きこまれているのも、観光地図として特徴的な点といえるでしょう。
このような、細部に至るまできちんと描きこまれたディテールも、吉田の作品に特徴的な要素です。
それにしても、コンピューターもない当時はこうした地図をすべて手描きでつくっていたはずなのですが、いったいどれだけの期間をかけて作っていたのでしょうか…….
富士・身延(1928)
最後にご紹介するのが、1928年(昭和3年)に作られた「富士身延鉄道沿線名所鳥瞰図」です。現在のJR身延線(当時は富士身延鉄道)の沿線にあたる地域の観光名所が描かれています。
この地図の見どころは、なんといっても大々的に描かれた富士山の存在でしょう。
富士山自体を、ディテールに至るまで細かい配色で表現し、その麓を走る鉄道路線(すなわち地図のメインテーマ)を大胆にも直線状に描くことで、鉄道の観光案内図としての見やすさとダイナミズムを両立させているようにも感じられます。
ところで、実際の地図を見てみると、鉄道路線自体は南北方向にカーブしながら伸びていることがわかります。しかし地図上ではそれを直線化して表現することで、すっきりとしたレイアウトを与えていることがうかがえますね。
(地図画面の矢印をクリックして、現在の地図と見比べてみて下さい!)
ちなみに、初三郎の作品には「富士山」が描かれた地図が数多く見られます。日本の象徴としての富士山をアイコンにつかうことで、観光地図としての親しみやすさやわかりやすさを追求したのかもしれません。
吉田初三郎とは?
そんな吉田初三郎とはいったいどんな人物だったのか。最後に彼の生涯を簡単に振り返ることとしましょう。
吉田初三郎(よしだ はつさぶろう)は、大正から昭和初期にかけて活躍した「鳥瞰図絵師」です。
鳥瞰図とは、「鳥のように俯瞰する図」という意味通り、ある場所の様子を空から見下ろすような視点で描かれた地図のことで、身近なところではテーマパークの案内図などによくみられます。
今からおよそ80年以上前、初三郎はそうしたスタイルをパンフレットなどの観光地図に取り入れることで独自の作風を生み出して高い注目を集めるようになりました。
1884年、初三郎は現在の京都市に生まれます。彼は幼少期から画家になることを志し、25歳の時に洋画家・鹿子木孟郎の元で本格的に絵の勉強を始めました。
その後ポスターデザインなどを手がけるようになると、1914年に京阪電鉄の依頼で沿線案内図を作成。これが当時の皇太子(後の昭和天皇)の賞賛をうけて話題になると、それをきっかけとしてさまざまな観光地図を描くようになり、初三郎の名は一気に有名となりました。
初三郎は1920年代から30年代にかけて、全国各地の風景をイラスト豊富な鳥瞰図として次々と発表し、彼が手がけた作品は全国各地で次々と観光案内図として使われるようになります。
彼の描いた地図は浮世絵や錦絵で用いられるような色使いが特徴的で、その独特のスタイルは「東海道五十三次」で有名な浮世絵画家・歌川広重にちなんで「大正広重」と呼ばれ、多くの画家たちに影響を与えることになったのでした。
参考:京都府総合資料館 デジタル展覧会「京の鳥瞰図師 吉田初三郎」
(http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/yoshida-index.html)